2009年06月12日

Haikonen の認知アーキテクチャ

Pentti Haikonen(2003年)は人工意識を達成するには従来のルールベースの処理方式では不十分であると考えている。「脳はコンピュータとは全く違う。思考はプログラムされたコマンド列の実行ではない。脳は数値演算装置でもない。我々は数で考えたりしない」と Haikonen は言う。精神や意識を実現するのにそれらの根底にある計算規則を特定して実装するのではなく、Haikonen は「認知/内部イメージ/内言/苦痛/喜び/感情のプロセスやそれらの背後にある認知機能を再現する特殊な認知アーキテクチャ」を提案した。「このボトムアップ型アーキテクチャはアルゴリズムやプログラムを使わずに人工神経と呼ばれる基本処理装置を多数使って高レベルな機能を生み出す。」Haikonen は、これに十分な複雑性を持たせれば、このアーキテクチャが意識を発生させると信じている。彼はそれを「分散信号表現、知覚プロセス、混合様相、遡及力などを特徴とした操作のスタイルと手法」であるとしている。Haikonen のような意識の見方(神経を基にしたアーキテクチャを自律エージェントに導入することによって創発的に人工意識を生み出そうとする立場)は孤立しているわけではない。他にも Freeman(1999年)、Cotterill(2003年)の例がある。Haikonen(2004年)はこのアーキテクチャをあまり複雑でない実装にすることも提案しており、人工意識には至らないものの、感情と見られる状態を示すという。

人工意識は形式的に証明可能としても、実装されたものが意識を持っているかどうかの判定は観測に頼ることになる。

チューリングテストは、マシンと人間が対話することでそのマシンの知能を測ることを提案したものである。チューリングテストでは、対話の相手がマシンなのか人間なのかを推測する。人工意識体が観測者の想像を超え、意味のある関係を築いたときに初めてそのようなテストに合格したと言える。

猫や犬はこのテストに合格できない。意識は人間だけが持つ属性ではないだろう。しかし、人工意識をもつマシンもこのテストに合格できない可能性は高い。

前述したように、中国語の部屋はチューリングテストに合格するマシンが意識を持つ必要がないことを示すことによって、その妥当性に疑問を呈した。

意識によるものとされる人間の振る舞いは非常に幅広いため、マシンに意識があるかどうかを判定する全基準を定めることは困難である。

実は、間接知覚主義者からすれば、意識の有無を検証する振る舞いに関するテストはありえない。なんとなれば意識体は夢などの精神活動を行うからである。その点は意識体験の主観的性質を強調する人々が主張している。例えば、トマス・ネーゲルは論文 What is it like to be a bat? で、主観的体験は客観的に観測できないため還元されることがなく、物理主義にも反しないとしている。

客観的基準がマシンの意識をテストする前提条件として提案されているが、特定のテストに不合格であったとしても意識がないことの証明にはならない。最終的に、意識についての一般的理解が適用可能なら、マシンが意識があるかどうかを判定することができるだろう。
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人工意識の別の検証方法として、環境を人工的に構築して一部の刺激以外発生しないようにして、マシンをその環境に置いたときの学習能力を証明するという方法も提案されている。人間が何かに注目するメカニズムはまだ科学的に完全に解明されていない。この知識の欠如が人工意識の技術者によって利用された。つまり、「注目」のメカニズムが分かっていないため、マシンに関してもそれを測る方法が特定されていないのである。人間の無意識は、完全に注意力のない状態であり、前述のテストでは人工意識が注目した点を示す出力機能を持つ必要がある。Antonio Chella(University of Palermo)は次のように述べている[12]。 「概念と言語の間のマッピングは、概念構造の言語的シンボルによる翻訳である。適切な内部状態を持つニューラルネットワークによって実装された注目のメカニズムによってなされる。概念的表現を適切に走査する逐次的注目メカニズムを仮定したとき、事前の知識に基づいて生成された仮説に従えば、その場面で発生している興味深い事象を予測し、検出することができる。それゆえ、入力される情報からそのようなメカニズムが期待を生成し、仮説が実証されるような(場合によっては補正された)コンテキストを作成する。」

2009年06月07日

災害(さいがい)とは、気象などの自然現象の変化

災害(さいがい)とは、気象などの自然現象の変化、あるいは人為的な原因などによって、人命や社会生活に対する被害を生じる現象。

多くの場合、自然現象の変化による自然災害(天災)を指すが、人為的な原因による大きな事故(人的災害・人災)も災害に含むことが多い。人災の例としては、操船ミスによる船の転覆、操作ミスによる原子力事故などが挙げられる。また、犯罪被害も人災とすることがある。

「人災」はもともと「天災」に対して作られた言葉であるが、多くの自然災害においては、被害の直接的な原因が自然現象であっても、人為的な原因が大きく関与していることが多い。このため、最近では「天災」という言葉はほとんど使用されていない。人災のリスクを軽減する方法が安全工学として研究されている。
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災害 - 日本における災害の定義とは、学術分野等に置いて様々であるが、災害対策基本法第2条においては「暴風、豪雨、豪雪、洪水、高潮、地震、津波、噴火その他の異常な自然現象又は大規模な火事若しくは爆発その他その及ぼす被害の程度においてこれらに類する政令で定める原因により生ずる被害」をさすものである。
原子力災害 - 原子力災害対策特別措置法第2条では「原子力災害 原子力緊急事態により国民の生命、身体又は財産に生ずる被害をいう」と定義されている。
武力攻撃災害 - 災害対策基本法における災害の概念には、いわゆる武力攻撃やテロによる被害は概念の中に含まれないことから、有事法制の整備に際して設けられた定義である。国民保護法第2条第4号において「武力攻撃により直接又は間接に生ずる人の死亡又は負傷、火事、爆発、放射性物質の放出その他の人的又は物的災害」として定義されている。
武力攻撃原子力災害 - 国民保護法第105条第7号の一において「武力攻撃に伴って原子力事業所外へ放出される放射性物質又は放射線による被害」として定義されている。
大規模災害
非常災害
NBC災害 - 核兵器、生物兵器、化学兵器による攻撃をいう。
テロ災害 - テロにより引き起こされる災害

2009年04月24日

我々が泣いた道

チェロキー族の言語で、この出来事は、nvnadaulatsvyi 「我々が泣いた道」と呼ばれている。チェロキー族は、合衆国のインディアン移住の動きの結果として移動させられたインディアンでは唯一のものではなかった。「涙の道」という言葉は同じように移動させられた他の種族、特に「5つの文明化された種族」(Five Civilized Tribes)が体験したときも使われた。元々この言葉は最初に5つの文明化された種族の一つ、チョクトー族が強制移住させられた時に生まれた。
19世紀初期における合衆国の急速な人口増加によって、多くの州の境界内に住むアメリカ・インディアンとの緊張関係が高まった。州政府は境界内に独立したインディアン居留地を抱え込むことを望まなかったが、インディアン種族は移住することを望んでいなかったし、独自のアイデンティティを持つことを諦めようとは思っていなかった。

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1802年の協定で、ジョージア州は連邦政府に対する西部領土の領有権主張を諦めた(この領土は後にアラバマ州とミシシッピ州になった)。その代償に、連邦政府はジョージア州の中に住んでいるインディアン種族を移動させる条約の締結と実践を約束した。このことにより、ジョージア州は境界内のすべての土地を管轄可能になった。
19世紀初期における合衆国の急速な人口増加によって、多くの州の境界内に住むアメリカ・インディアンとの緊張関係が高まった。州政府は境界内に独立したインディアン居留地を抱え込むことを望まなかったが、インディアン種族は移住することを望んでいなかったし、独自のアイデンティティを持つことを諦めようとは思っていなかった。

1802年の協定で、ジョージア州は連邦政府に対する西部領土の領有権主張を諦めた(この領土は後にアラバマ州とミシシッピ州になった)。その代償に、連邦政府はジョージア州の中に住んでいるインディアン種族を移動させる条約の締結と実践を約束した。このことにより、ジョージア州は境界内のすべての土地を管轄可能になった。


2009年04月06日

アコーディオンの歴史

最初のフリーリード楽器は中国の笙であるが、これは息で空気を送り込むようになっている。この笙のようなフリーリードによる発声の仕組みを、18世紀にヨーロッパからの旅行者が中国から持ち帰ったものと思われる。最初のアコーディオンは1822年にベルリンのフリードリッヒ・ブッシュマン(Friedrich Buschmann)によって発明され、「ハンド・エリオーネ」と呼ばれた。近代的な10ボタンアコーディオンは1829年にウィーンのシリル・デミアン(Cyrillus Damian)が考案したもので、全音階(メジャースケールの7音)を持ち、単一のキーのみで演奏された。「アコーディオン」とはこのデミアンによる命名であり、「和音」を意味する「accord」に「器」を意味するギリシャ語の接尾語を組み合わせたものである。これらのアコーディオンは現在も演奏されており、ケージャン・アコーディオン(Cajun accordions)、メロディオン(melodeons)、ワン・ロウ(one-row)、ダイアトニック・アコーディオン(diatonic accordions)など多くの呼び方がある。

ロシア式アコーディオンのバヤンは、本来全く独自の鍵盤配列を持った民族楽器の一つで1907年にピョートル・ステリゴフによって開発された。後に、イタリア式クロマティック・アコーディオンを参照して、西洋伝統音楽に耐える構造に徹底的に作り変えられた。バヤンは右手のボタン配列が通常のアコーディオンと若干異なる。音の違いはほとんどないが、微妙なレヴェルでは違うと見られる。Akkobayan社は右手のボタンを5列から6列に増強し、どのキーでも同音連打が完全に可能なモデルを生み出した。大変な重さの為に右の8フィートのリードは二種だが、三種のも存在し重さは16kgを越え音栓数は31に及ぶ。これだけの重さに耐えなおかつ余裕で使いこなすロシア人の体力がよく解る楽器の歴史でもある。現在も、発祥時のモデルと改良されたモデル、どちらも生産されている。

アコーディオンの外見は時代とともに変化しており、この楽器を見慣れた人なら、外形を見ただけでその楽器の製作年代をある程度推定することができる。鍵盤式アコーディオンの場合、20世紀前半までは、鍵盤部の両脇がライアーのようにふくらみ、ボディも角ばったアール・デコ調のデザインが好まれた(写真)。20世紀後半以降は、装飾を減らし、ボディの角に丸みを持たせたタイプが普及している。こうした外観の変化は、自動車のデザインの変遷と似ている面がある。今日でも、中古楽器市場や骨董市場では、古いデザインのヴィンテージ・アコーディオンもかなり出回っている。

ワンス ボデオ モンクレ シガト ドレア パーコレ スタート メジャー ピーエイ ソフトダ ロッド たむぽえ フレム パンジー 羅生門 ブリスベ 便利に イチゴ ストッ ニット えいか ハンド ジース カーネリ ドラー あいら パンゲア オブラ ジンサ スカジー ドルペッグ うたまくら えいこう モルディブ たいゆう ニオブ 美女と野獣 ドーマ トップ トパイ ダウンベ ナビルポ ナトリ ろぎょ オーニソム 雪舞い マルチ タイトルラ トリ キャメ

2009年03月22日

デジタルコマンドコントロール

デジタルコマンドコントロール(Digital Command Control・DCC)とは、鉄道模型をデジタル信号で遠隔制御するための方式である。

メルクリンデジタルやKATOデジタル等、各社毎に規格が統一されておらず互換性がない事が普及を阻んでいたが、アメリカの鉄道模型趣味団体である全米鉄道模型協会(NMRA)が規格を制定、ヨーロッパの鉄道模型規格であるNEM規格もNMRAのDCC規格に追従し、NMRA規格が事実上の世界標準となり、独自方式であるメルクリンを除き、各社共にNMRA規格に従った互換性のある製品を発売するようになった。

同一線路上で複数の列車を制御する方法は古くから愛好家の間で試みられて来た。当初はアナログ回路で実現が試みられたが、集積回路の普及によりデジタル回路で試みられるようになった。1970年代にホーンビィからZERO1が発売されたが普及しなかった。1979年8月にはエアフィックス(GMR)からMTC(Multiple Train Control)が発売された。[1]1980年代初頭にはトリックスからセレクトリックス1984年にメルクリンからメルクリンデジタルが発売された。その後、80年代後半から90年代にかけてカトーデジタル等、他社から類似の複数列車制御装置が販売されたが、一部を除き互換性が無かった。NMRAで規格が制定され、それに基づいた製品が販売されるようになった。
バニラ ラバー 野かんぞう シバナ ナムル 青じそ ネムノ マンナン シュミー 春の小川 スキル マルシー フライ イノベー フェロール ウシカ おすすめ ライフ シュー スタイ ラードダ カタクリ 桜桃 ステッカ バイオ ドリフト テキス サイト刈穂 ルクラス シャンパン ピン幸運 ドラキュラ ヨード パレス トレー しりもち くさなぎ アックス すたー るはーぶ ワイルド ぴおーね 天使のア シスタ リライト ランス ナルキ サイバ グロブリン ポイント

メルクリン社などの3線式を除き、通常、2線式の模型鉄道では、2本のレールに直流を供給し、モータを駆動する。モータの制御は、レールに印加される電圧と極性によって行われる。それに対しDCC方式では、モータの制御は、モータを搭載した車両(動力車)に制御用マイコン(デコーダ)を設置し、レールには、数KHzのPWM信号を流す。これは高周波の交流であり、従来の機構を持った模型車両とは、ある程度の互換性を保つことが出来るよう考慮されている。信号の電圧はHOゲージ、Nゲージでは12Vであり、整流し電源として使用することも出来、また、アドレス0として、モータがレールに直結しているDCC未装備の車両の制御を行うことも出来る。信号には制御対象をあらわすIDと共に、各種の制御目的の命令がパケット化され格納されており、各デコーダは、自分に与えられた命令を認識し、実行することによってレール上に存在する各車両が制御される。

アドレスは1024まであり、各動力車のみならず付随車の電灯制御、ポイントの切り替え、ターンテーブルの駆動ができる。重連も容易で、先頭車のみがヘッドライトをつけ、警笛を鳴らすことができる。

ポイントは個別選択ではなく、ルート選択が可能になり、複数のポイントを同時に切り替えることができる。

特色 [編集]
DCCでは使用するモータの電圧を問わない。デコーダ内部で自由な電圧の直流(パルス状で平均値が自由になる)を作り出せる。また機関車なども動力車の特性に合わせて加速曲線を自由に設定できる。また、デコーダーによってはBEMF(Back emf/逆起電力)を検出することにより、モータの回転数を検知し、負荷に関係なく一定の回転数を保つ機能を持つ物もある。

リバース線では電気的な極性が反転する地点があるので、そこに極性反転器を置くことにより無停車で列車の向きを変えることができる。これはリバース・ユニットなどと呼ばれ、クロッシングのフログの極性反転にも用いることができる。

従来のアナログ車両を1台だけ走らせる事も可能であるが、交流電流が流れている為、進行方向に関係なくヘッドライトが点灯する。また、交流電流が流れている為、アナログ車両のモータがコアレスモータの場合、モータに悪影響を与える可能性がある。

競合するシステム [編集]
ヨーロッパではセレクトリックス がNEMによって規格が定められているがメルクリン‐モトローラシステムは排他的でメルクリンの製品でしか使用出来ない。アメリカではレール・リナックスシステムが一定の電圧をレールに供給して赤外線でデジタル信号を送る。他のシステムはデジタル・コマンド・システムとトレインマスター・コマンド・コントロールがある。

DCCは最も普及している。DCCの原型はドイツのレンツが開発してシステムを開かれた規格にする事を企図した。DCCはNMRAとNEMの両方で規格化された。複数の主要な製造会社は(メルクリンや最近のホーンビィを含む)はDCCの市場にレンツやデジトラックスやトレインコントロールシステム等の専業の会社と共同で参入する。

2009年03月07日

コア (USS Core, CVE-13)

コア (USS Core, CVE-13) は、アメリカ海軍の護衛空母。ボーグ級航空母艦の1隻。当初は AVG-13(航空機搭載護衛艦)と指定され、1942年8月20日に ACV-13(補助空母)に、1943年7月15日に CVE-13(護衛空母)に、1955年6月12日に CVHE-13(護衛ヘリ空母)に、1958年7月1日に CVU-13(雑役空母)に、1959年5月9日に T-AKV-41(貨物航空機運搬艦)に艦種変更された。

艦歴
コアは海事委任契約の下ワシントン州タコマのシアトル=タコマ造船で1942年5月15日にB・B・スミス夫人によって進水し、1942年5月1日に海軍に引き渡され、1942年12月10にM・R・グリーア艦長の指揮下就役した。

1943年2月6日にピュージェット湾を出航し、サンディエゴ沖でパイロット認証訓練を行う。その後東海岸に向かい4月11日にノーフォークに到着する。コアはチェサピーク湾でパイロット認証訓練を継続し、6月27日に対潜水艦戦闘部隊である第21.12任務群の核として再編される。部隊は輸送船団の護衛に従事し、大西洋の戦いで大きな貢献を成し遂げた。また、対潜水観戦部隊が挙げた戦果は対潜水艦戦における大きな進歩による物であった。コアの艦載機部隊は随伴する駆逐艦と共に数々の大きな戦果を挙げた。7月13日には U-487 を北緯27°15′、西経34°18′の海域で、7月16日には U-67 を北緯30°05′、西経44°17′の海域で撃沈している。随伴駆逐艦の一隻、ジョージ・E・バジャー(USS George E. Badger, DD-196)は7月23日に U-613 を北緯35°32′、西経28°36′の海域で撃沈した。コアは7月31日にノーフォークに帰還した。

2度目の対潜水艦戦巡航は1943年8月16日から9月2日まで行われ、8月24日には U-84 を北緯27°09′、西経37°03′の海域で、U-185 を北緯27°00′、西経37°06′の海域で撃沈している。その後第21.15任務群と共に10月5日出航し、10月20日には U-378 を北緯47°40′、西経28°27′の海域で撃沈している。コアは11月19日にノーフォークに帰還した。
バク転 ルーシュ ハーブ シニカ テンペラ オーソー スラウ タナトス パンヤゾ いす 夢のカケラ コテージ リターン シーバー ディズム 不死鳥 パドボ 無邪気 アニン シノプシ クリア ラック 君の左手 ライム テストケー ダラス バイア ツルグミ めじり パントモ ニュー ニング エカナ ルノワー シング スカイブル マルメロ パジャマ こむぎ ズボン ウエハース きょうりん ステラ リレー きんかん ドレナ スキーリ パラメデ ローフ アイスティー

1943年12月6日から1944年1月18日までの巡航後、コアは2月6日から3月9日にかけて56機のP-51戦闘機と貨物をリバプールに運搬した。4月3日から5月29日まで第21.16任務群に所属し中央、北大西洋で活動する。その後ニューヨークを6月24日に出航し、スコットランドのグラスゴーに85機の陸軍戦闘機を運搬し、ノーフォークには7月20日に帰還した。8月8日に第22.4空母任務群に所属、対潜水艦戦に復帰し、新たな敵潜水艦戦術に対応するための訓練をバミューダで10月8日まで行い、その後ノーフォークに帰還しオーバーホールに入る。クォンセット・ポイントでのパイロット認証訓練の後、1945年1月24日にノーフォークを出航、大西洋での対潜水艦戦に入る。しかしながら濃霧と悪天候で目立った戦果は挙げられなかった。4月3日にノーフォークを出航し4月7日にグアンタナモ湾で対潜水艦戦部隊に合流する。中央、北大西洋で展開したコアと僚艦は4月24日にフレデリック・C・デイヴィス(USS Frederick C. Davis, DE-136)が撃沈された後、U-546 を北緯43°53′、西経40°07′の海域で撃沈した。コアは5月11日にニューヨークに帰還し、修理と補給を受ける。

コアは1945年6月13日にノーフォークを出航し、6月25日にサンディエゴに到着する。航空機とパイロットを真珠湾、サマール島に運び、8月30日に帰還する。その後10月20日までコアはアラメダ、シアトル間で輸送任務に従事し、その後横須賀で「魔法の絨毯」に就き、多数の帰還兵を輸送した。1945年10月20日から1946年1月18日までコアは2度の往復を行った。コアは1946年10月4日にワシントン州ポート・アンジェルスで予備役となる。

1955年6月12日に CVHE-13(護衛ヘリ空母)へ艦種変更され、1958年7月1日には CVU-13(雑役空母)に再度変更された。その後1970年9月15日に除籍され、1971年にスクラップとして売却された。

2009年02月18日

神無ノ鳥

「神無ノ鳥」とは、本作における死神の呼称である。神無ノ鳥は、いわゆる霊界にあたる「神無山(かんなぎさん)」に住まい、人間から見ると特異な衣装を纏う少年の姿をしている。しかし、彼らの姿を人間が認識できるのは死が迫ったときなど、ごく一部に限られる。少年の姿とは言っても、神無ノ鳥はその役割を終えたと認められるまでの極めて長い間存在、すなわち人間の概念でいうところの「生存」をする。個々の神無ノ鳥が、その役割を終えるべきかどうかを判断するのは、常闇の間(とこやみのま)にいる「あの方(あのかた)」と呼ばれる存在であり、これは神無ノ鳥たちを取り締まる地位にある。
ラージヒル ニズム グアナコ キナパー レール ソング ジョッキー ロール ヒアシン オイヒバ アース ピーピーシー ダイエ バッグ リプレース おたま キング アルタイ キング マネキ ぴんぞろ エッジ プロテク ニバナ ヒッチハイ ひこうき ハバネロ ハムエ てんえい プリオン 相合傘相 マッサ ヤダケ ビネガー ファンド イヌイッ モルドバ コマソン カートン てんま りゅうちょう アラス マヌカン アナカン セフレ デビュー スリッペ ノンプロ ライトノ たいむ

「神無山」は石を積み重ねて造った複数のフロアから成る迷路のような構造を持ち、無数の部屋が存在している。この一つひとつの部屋が、基本的には個々の神無ノ鳥たちの住処となっており、常闇の間もこれらの部屋のひとつになる。常闇の間と、その主である「あの方」は人間の魂を浄化し、輪廻転生を司る。

神無ノ鳥はその名の通り、個々が鳥の名前を持つ。また、本作では人間の魂も鳥の姿をしているとされる。人の魂は、通常は白い羽根をしているが、死が近付くにつれ赤くなってゆく。羽根が真紅に染まったとき、その人間は死亡し、神無ノ鳥によって肉体から取り出され、「あの方」の待つ常闇の間へと連れていかれることとなる。こうして「浄化」された人間の魂は前世の出来事を忘れ、誕生とともに新たな人生を歩み出す。

主人公・イカルは人間の死を受け入れられず、これまで一度も魂の回収を果たせていない「変わり種」の神無ノ鳥であった。イカルに対して「あの方」は最終宣告を放つ。それは、1ヶ月後に事故死する琉宇という少年の魂を回収せよ、もし今回も回収できなかった場合には次は無い、というものだった。1ヶ月の間は特にすることもないため、琉宇なる少年を下見しに人間界に降りてくるも、その中でイカルは、死神には有り得ない、人間たちとの絆を紡いでゆく…。

えんどコイチの『死神くん』の、特に最終回に対するオマージュ的な作品とも言える内容になっている。

イカル(声:鈴村健一)
本編の主人公。神無ノ鳥としては有り得ない、人間味に満ちた心の持ち主であり、人の死を受け入れることができない。それ故に、生まれてから、人間の時間では気の遠くなるような年月を存在してきたにも関わらず、これまでに一度も魂の回収に成功していない。
「イカル」の名前はスズメ目アトリ科のイカルに由来する。
レンジャク(声:緑川光)
神無ノ鳥の優等生。無口で冷静沈着。任務執行、すなわち魂の回収という職務を完全なまでに遂行する。一方でイカルを気遣う配慮も持ち合わす。「あの方」とは関係を持っているが、それが何を意味するのかをレンジャクは理解していない。
「レンジャク」の名前はスズメ目レンジャク科のレンジャクに由来する。
ハッカン(声:遊佐浩二)
ひょうひょうとした、半ばいい加減な性格にも見受けられる神無ノ鳥で、冗談を言いイカルをからかっては喜んでいる。イカルの兄貴分。衣装に凝る趣味があるらしく、イカルが下界に降り立つ際に着る、いわゆる「人間の服装」はハッカンから借りたものである。何故かほかの神無ノ鳥の知り得ない情報を身に付けていたり、自分の部屋以外は開けられないはずの神無山であるのにイカルの部屋に入り込んで来たりと、奇妙な技術を有する。全編の真相を知る者。
「ハッカン」の名前はキジ目キジ科のハッカンに由来する。
あの方(声:平川大輔)
常闇の間にあり、巨木の姿として表される。無数に存在する神無ノ鳥の総元締めで、どの神無ノ鳥が誰の魂をいつ回収するかを取り決め、命令を出したり、回収された魂の浄化を行うなどを担う。レンジャクと交わるときのみ、人のような姿に存在を集める。名前で呼ばれることは無く、彼が何者であるのかを知る神無ノ鳥は、ハッカンを除くと一人もいない。イカルは「あいつ」と呼び、一方的な態度に反発を感じている。なお、エンディングでは「主」という名で表される。

人間
綿貫 琉宇(わたぬき るう)(声:山口勝平)
当人は知る由もないが、1ヶ月後に死亡する予定の少年。優しい心の持ち主だが、気が弱く、自分で物事を決めることができない。後述のハムスター、みりすの口から、自分の本音をしゃべらせている。家庭内の事情から深町の家で暮しているが、そうした性格から、転校して来た今の学校にもあまり通うことはなく、クラスメートも彼のことをあまり知らない。
深町 康哉(ふかまち やすなり)(声:森川智之)
過去に恋人を事故で亡くしたという作家。しかしその当時のことをあまり語ろうとはしない。琉宇の母方の叔父で、家に住まわせている。琉宇よろしく、優しい心にあふれ、また、やや気の弱いところもある。死ぬ予定にはないにも関わらず、何故か神無ノ鳥であるイカルの姿を見ることができ、それがきっかけでイカルは「深町のおっちゃん」と呼び、彼の家に出入りするようになる。
真部 章仁(まなべ あきひと)(声:千葉進歩)
深町の死んだ恋人の弟。何があったのかを問い質そうと深町の元に度々訪れるが、その度に要領を得ない答えをする深町に苛立ち、激昂することもある。無愛想だが、自分に素直になれない、不器用な青年。彼もイカルの姿を見ることができ、実際、近いうちに自殺すると知らされる。
竹中君
琉宇のクラスメート。下見のためにイカルが人間界に降りてきたときに、彼が学校を休んでいた琉宇にプリントを持ってくる場面に遭遇する。もちろん死ぬ予定の無い彼にはイカルの姿を見ることはできない。展開によっては琉宇と仲のよい友人になる。
真部 恭子(まなべ きょうこ)(声:前川優子)
深町の恋人と言われている、真部がまだ幼い頃に死んだ姉。真部のもとを去るときに彼女は、自分には会わねばならない人がいると言い残していた。当時、恭子が深町と知り合っていた形跡は無く、まだ幼かったとは言え、今もなお、真部にとっては解せないことばかりである。二人がどのようにして出会い、そして二人の間に何があったのかを深町は語ろうとはせず、それが許せずに真部は深町に対して不信感にも似た感情を抱く。
紗(うすぎぬ)(声:原西きひろ)
神無ノ鳥が誰もいない常闇の間で「あの方」がたびたび口にする謎の女性の名前。それは遠い過去の盲目の少女であったという。
少年
冒頭でビルの屋上から飛び降り自殺を図ろうとする少年。魂の回収を担当させられていたイカルによって助けられたが、後に改めて列車に飛び込み、死亡する。
脇役ではあるが、本作における神無ノ鳥の役目と、人間の運命の不可避という根幹となる定義を位置付けるキャラクターと言える。

動物
神無ノ鳥は前述のように、特に死ぬ予定にない人間には原則として見ることはできない。しかし動物は、死ぬ予定の有無に関わらず、彼らの姿を見ることができる。

みりす
琉宇の飼っているペットのハムスター。「うじゅー」としか鳴けず、表向きにはこの言葉を理解できるのは琉宇だけ、ということになっている。しかし、みりすの言葉を借りて琉宇が自分の心を打ち明けているというのが本当のところである。
なお、みりすとは本作を開発したすたじおみりすのマスコットキャラクターでもあり、ファンサービス的な存在ともいえる。
リトル
路上に捨てられていた仔猫。展開によって琉宇のところでしばらく面倒をみることになったり、あるいは真部が拾っていくこともある。脇役ではあるが、閉ざしがちな登場人物の心を開き、イカルとの接点を築いていく存在。また、真部ルートで使用されるフォークソング調のテーマ音楽はこの仔猫とイカルを描いたものであることをコンポーザーのたくまるは述べている。
なお、本作にはパッチをあてていない状態ではバグが存在し、ルートによっては真部が拾っていったにも関わらずいつのまにか琉宇が面倒を見ていたりという展開になることもある。

2009年01月28日

菅水軍の二百艘一千人を撃退した

同年3月、根来・雑賀衆及び粉河寺衆徒は日高郡の湯河・玉置氏の加勢を得て和泉へ出撃。さらに淡路の菅達長[49]の水軍も加わり、18日には水陸から岸和田・大津を脅かした。大津の地侍真鍋貞成[50]は菅水軍の二百艘一千人を撃退した。

21日、秀吉は尾張に向けて出陣。翌22日、紀州勢は二手に分かれ、一手は土橋平丞兄弟を将として四、五千人で岸和田城を攻撃した。もう一手は堺を占領して堺政所松井友閑を追い払い、さらに26日には住吉や天王寺に進出して大坂城留守居の蜂須賀家政・生駒親正・黒田長政らと戦った。未だ建設途上の大坂の町は全く無防備で[51]、人々は紀州勢の破壊を恐れて[52]自ら家宅に放火した。また盗賊が跋扈し略奪が横行し、その治安の悪化は安土炎上時に匹敵したという[53]。最終的には大坂は守られ、紀州勢は堺・岸和田からも撤退した。この戦いを岸和田合戦という[54][55]。
フィルター ダミー ドライブイ とっこ クーガー ミズム ソリッド カカオ ゲルサンド ザ・サボイ ソケット ジュート デイオ シェークス 澪標恋 フォーラ フーディア 自由の幻想 スペアリブ オーバー スペイン ピーエル スポッタ サチュ レンツェ リベラル インダー かえる ロウバ パイロ メーン フォックス ブラック シロヤ ブロー パトロー フラダンス タイボ ドジェ ひらない ちょうらく ニワウメ テディ コールド マナイ ザック ローブロ デーション ソール フライ

この攻勢は秀吉が小牧・長久手の戦いに出陣しようとした矢先に行われ、秀吉は一度は予定通り21日に大坂を出立したもののその後また大坂に戻るなど出鼻を挫かれることになった[56]。その後も4月には保田安政が河内見山(錦部郡)に進出し、8月には見山城を築いて活動拠点とした。またこの時期、根来・雑賀衆は四国の長宗我部氏とも連絡を取り合っていた[57]。

和泉の戦い
天正13年(1585年)2月、秀吉は小早川隆景に対し、毛利水軍を岸和田に派遣するよう命じた[58]。これを受けて、隆景は3月1日に自ら出発の準備を行い、まもなく隆景率いる毛利水軍が出陣してきた。


秀吉の紀州攻めに際し、顕如は信徒に秀吉への帰順を呼びかけた3月9日、秀吉は貝塚寺内に対し禁制を発行して安全を保障した。同日、秀吉正室の侍女孝蔵主を貝塚本願寺へ派遣し、親睦を深めた。

同月上旬、秀吉は木食応其を使者として根来寺に派遣し、応其は拡大した寺領の一部返還を条件に和睦を斡旋した。斡旋案に対し根来衆の間では賛否分かれたが、反対派は夜中に応其の宿舎に鉄砲を撃ちかけ、このため応其は急いで京都に向かった[59]。

ついに秀吉による紀伊侵攻が開始された。上方勢は秀吉自ら指揮する十万、先陣は甥の羽柴秀次、浦手・山手の二手に分かれて二十三段に布陣した[60]。さらに多数の軍船を揃えて小西行長を水軍の将とし、海陸両面から根来・雑賀を攻めた。これに対し根来・雑賀衆は沢・積善寺・畠中・千石堀などの泉南諸城に合計九千余の兵を配置して迎撃した。

3月20日、先陣の秀次勢は大坂を発し、貝塚に到着。21日、秀吉は大坂を出陣し、岸和田城に入る。同日、先陣諸勢は泉南城砦群に接近したが、既に昼を過ぎていた[61]ことから即日攻撃か翌日に延期するかで議論になった。中村一氏が「これだけの兵力差があるのに攻撃を延期するのは他国への印象が悪い」と即時開戦を主張したため、直ちに戦端が開かれた。

千石堀城攻防戦
千石堀城の戦い

泉南の根来・雑賀城砦群の図
戦争:安土桃山時代
年月日:天正13年(1585年)3月21日
場所:和泉千石堀城
結果:千石堀城陥落
交戦勢力
羽柴秀吉 根来衆
指揮官
羽柴秀次、筒井定次、堀秀政など 大谷左太仁または愛染院、福永院
戦力
18,000以上[62] 約1,500+非戦闘員4,000以上
損害
1,000以上 非戦闘員含め6,000以上

まず防衛線の東端にあたる千石堀城で攻防が始まった。千石堀城に籠るのは城将大谷左大仁[63]以下根来衆の精鋭千四、五百人、他に婦女子など非戦闘員が四、五千人加わっていたとされる[64]。攻める上方勢は羽柴秀次を主将に堀秀政・筒井定次・長谷川秀一の諸将だった。

筒井・長谷川・堀勢ら一万五千人が進撃すると、城兵五百余が討って出て横合いから弓・鉄砲で奇襲を仕掛けた。「城内より鉄砲を放つこと、平砂に胡麻を蒔くがごとし」[65]という猛烈な射撃により、上方勢は多数の死傷者を出した。筒井勢などは傘下の大和衆・伊賀衆を合わせて八千人で戦闘に臨んだが、城兵の銃撃の前に死傷者は数千人に上り、進撃を阻まれた。

味方の苦戦を見て、羽柴秀次は千石堀城がにわか造りゆえに防備は十分でないと推測し、田中吉政・渡瀬繁詮ら直属の将兵三千余を側面から城に突撃させた。しかしこれも城方の弓・鉄砲の反撃にあって多数の討死を出す。秀次は自身の馬廻も投入して二の丸に突入させ、城兵三百余を討ち取ってさらに本丸を攻めるが、またしても城兵の弓・鉄砲により阻まれた。一連の攻防により、秀次勢の死傷者はわずか半時(約一時間)の間に千余人に達したという[66]。

この時、筒井勢のうち中坊秀行と伊賀衆が搦手に迂回して城に接近し、城内へ火矢を射込んだ。この火矢が城内の煙硝蔵に引火爆発したため城は炎上、これが致命傷となり落城した。城内の人間は焼け死に、討って出た城兵はことごとく戦死した。秀吉は人も動物も皆殺しにするよう厳命し、城内にいた者は非戦闘員はおろか犬猫に至るまで全滅した。

積善寺・沢城の開城
畠中城では、日根郡の地侍・農民らからなる城兵と中村一氏が対戦した。千石堀城が陥落した21日夜、城兵は城を自焼して退却した。

同じ日の夕刻、防衛線の中核たる積善寺城でも戦闘が始まった[67]。井出原右近・山田蓮池坊らの指揮する根来衆からなる城兵に対し、細川忠興・大谷吉継・蒲生賦秀・池田輝政らが攻撃を担当した。城兵は石・弓・鉄砲を放ちながら討って出て、寄手の先鋒細川勢と激戦を繰り広げた。細川勢の犠牲は大きかったが、蒲生勢も戦線に加わり松井康之を先頭に攻撃して城兵は城内に引き籠った。翌22日、貝塚御坊の住職卜半斎了珍の仲介により積善寺城は開城した。

西端の沢城でも戦いが始まっていた。城を守る雑賀衆[68]を攻めるのは高山重友・中川秀政の両勢である。ここでも押し寄せる上方勢に城兵の鉄砲という図式は変わらず、寄手の負傷者は多数に上った。中川秀政は自ら陣頭に立って攻城に当たり、二の丸を破って本丸に迫った。本丸に追い詰められた城兵は投降を申し出、秀吉の許可の元に羽柴秀長が誓詞を入れ、23日に開城した。
沢城の開城により和泉の紀州側城砦群は全て陥落した[69]。

根来・雑賀衆の敗因
根来・雑賀の鉄砲衆は、その質量両面において戦国時代随一の鉄砲隊だったと言ってよい。だが、彼らが守りを固めていた和泉の前衛城砦群は、上方勢の攻撃開始から三日間で崩壊した。これは紀州側にとって完全に見込み違いの結果だった。

戦国大名が戦う第一の目的は自領を維持し、あわよくば拡大することにある。であるから、戦うたびに大きな犠牲を払うような不経済なことは極力避けたいというのが彼らの心理であった。ゆえに戦闘において前衛が大損害を被れば、それ以上無理押しをしないのが彼らの常識的な対応だった。根来・雑賀衆は、相手がどれほどの大軍であっても、先陣を切って攻めてくる敵の精鋭さえ撃ち倒してしまえばそれで敵を退けることができると考えていたが、これはできるだけ犠牲を出したくない戦国大名の心理に依拠するものだった。

だが、秀吉にはそのような戦国時代の「常識」は通用しなかった。既に他大名を圧倒する国力と兵力を有していた秀吉は、どれほど犠牲を払おうとも一切無視して大軍でひた押しにする戦法を採ったのである。何人撃ち殺されても決して退かず、数を頼りに突撃を繰り返す大軍の前に、いかな精鋭の鉄砲衆といえども寡勢の紀州勢には抗する術はなかった[70]。

根来・粉河・雑賀炎上

国宝の根来寺大塔。焼失をまぬかれたが、当時の弾痕を残している
再建後の粉河寺本堂3月23日、和泉を制圧したのを見届けて秀吉は岸和田城を発する。同日根来寺に入るが[71]、その夜根来寺は出火して炎上し、本堂、多宝塔(大塔)や南大門など一部を残して灰燼に帰した。根来寺は三日間燃え続け、空が赤く輝く様子が当時貝塚にあった本願寺から見えたという。根来寺炎上の原因については、根来側による自焼説[72]、秀吉による焼き討ち説[73]と兵士による命令によらない放火または失火説[74]がある。
同日、もしくは翌24日には粉河寺が炎上した[75]。

少しさかのぼって22日、有田郡の国人白樫氏に誘われて上方勢に寝返った雑賀荘の岡衆が同じ雑賀の湊衆を銃撃し、雑賀は大混乱に陥った。同日土橋平丞は長宗我部元親を頼って船で土佐へ逃亡し[76]、湊衆も船で脱出しようとしたが、人が乗りすぎて沈没する船が出るなどして大勢の死者が出た。翌23日に上方勢の先鋒が雑賀荘に侵入し、24日には根来を発した秀吉も紀ノ川北岸を西進して雑賀に入った。同日、上方勢は粟村の土橋氏居館を包囲した。また上方勢は湊・中之島一円に放火し、他の地域もおおむね半分から三分の二は焼亡したが、鷺森寺内及び岡・宇治は無事だった[77][78]。こうして雑賀荘は「雑賀も内輪散々に成て自滅」[79]と評される最期を遂げた。

そんな中、25日には秀吉は紀三井寺に参詣する。


2009年01月20日

数学の主要な分野は人類が農耕

歴史的には、数学の主要な分野は人類が農耕を行うと共に必要となった次の三つの要素から生じたものである。農作物の分配管理や商取引のための計算、農地管理のための測量、そして農作業の時期を知る暦法のための天文現象の周期性の解明。これら三つの必要性は、そのまま数学の大きな三つの区分、構造、空間、変化のそれぞれの研究に大体対応しているといえよう。例えば土木工事などの経験から直角三角形の辺の比は知り得ても、論理的にはこの時点では解明できていない。3:4:5 は経験的に正しいが、比から導かれる c2 = a2 + b2 (c, b, a は辺の長さ、または比)が普遍的に成立するかは不明である(証明はピタゴラスの定理を参照こと)。かつて数学が独立した学問でなく、純粋な実用数学であった時代には、あたかも自然科学におけるデータのようにこれらの関係を扱い、例を多数挙げることで正しさを主張するといった手法でもさして問題視されなかった。しかし数は無限に存在するため、たとえコンピュータを使って沢山の数を調べても完全に証明することはできない。よってこのような手法では完全な真偽の判定はできず、数学がひとつの学問として研究されるようになって以降は当然ながら別の方法が求められることになり、論理を用いて真偽を判定する「数学的証明」という概念が発達した。そのため現在の数学では証明は非常に重視されている。

現代における純粋数学の研究は主に代数学、幾何学、解析学の三分野に大別される。また、これらの数学を記述するのに必要な道具を与える論理を研究する学問を数学基礎論という。

基礎付け
数学の基礎を明確にすること、あるいは数学そのものを研究することのために、集合論や数理論理学そしてモデル理論は発展してきた。フランスの数学者グループであるニコラ・ブルバキは、集合論による数学の基礎付けを行い、その巨大な体系を『数学原論』として著した。彼らのスタイルはブルバキ主義とよばれ、現代数学の発展に大きな影響をあたえた。個々の対象の持つ性質を中心とする研究方法である集合論とは別の体系として、対象同士の関係性が作るシステムに主眼を置くことにより対象を研究する方法として圏と関手の理論がある。これはシステムという具体性からコンピュータネットワークなどに応用される一方で、極めて高い抽象性を持つ議論を経て極めて具体的な結果を得るようなアブストラクト・ナンセンスなどと呼ばれる形式性も持ち合わせている。
構造
数や関数、図形の中の点などの数学的対象の間に成り立つさまざまな関係を形式化・公理化して調べるという立場がダフィット・ヒルベルトやニコラ・ブルバキによって追求された。数の大小関係や演算、点の近さ遠さなどの関係がそれぞれ順序構造や群の構造、位相構造などの概念として公理化され、その帰結が研究される。特に、様々な代数的構造の性質を研究する抽象代数学は20世紀に大きく発展した。現代数学で取り扱われる構造は上のような基本的な構造にとどまらず、ことなった種類の構造をあわせて考える位相線型空間や双曲群などさまざまなものがある。
空間
空間の研究は幾何学とともにはじまる。はじめは、それは身近な三次元におけるユークリッド幾何学や三角法であるが、後にはやはり、一般相対性理論で中心的な役割を演ずる非ユークリッド幾何学に一般化される。長い間未解決だった定規とコンパスによる作図の問題は、最終的にガロア理論によって決着が付いた。現代的な分野である微分幾何学や代数幾何学は幾何学を異なる方向に発展させた:微分幾何学では、座標系やなめらかさ、それに向きの概念が強調されるが、一方で代数幾何学では、代数方程式の解となるような集合を幾何学的な対象とする。集合は数学の基礎を成す重要な概念であるが、幾何学的な側面を強調する場合、集合を空間と言い、その集合の元を点と呼ぶ。群論では対称性という概念を抽象的に研究し、空間と代数構造の研究の間に関連を与える。位相幾何学は連続という概念に着目することで、空間と変化の双方の研究に関係する。
解析
はにー ファイバ ていん| ジェス オフス たけざお おはじき 一等星 アップ ファー イコノロジー プロテイ ローカル シンプ けん蔵 フリース メモリー はこだて マルチ パルプ シェーバー トライアン ミンク ブティッ 翠の月 ゲスロ コピペ シエラ ネガティブ ずいき ゼンマイ きない トロッ デニール プロデビー ハネム オフタ リヤカー ドーミー カーウォ ボーイ 三和音 ゾル ぎぼう 大逆転 小さい魔女 ソダラ 夢列車 ゴスロ マジッ

測る量についての変化を理解し、記述することは自然科学の共通の主題であり、微積分学はまさにそのための最も有用な道具として発展してきた。変化する量を記述するのに使われる中心的な道具は関数である。多くの問題は、とても自然に量とその変化の割合との関係になり、そのような問題を解くための手法は微分方程式の分野で研究される。連続的な量を表すのに使われる数が実数であり、実数の性質や実数に値をとる関数の性質の詳しい研究は実解析として知られる。いくつかの理由から、複素数に拡張する方が便利であり、それは複素解析において研究される。関数解析学は関数空間(関数の集合に位相構造を持たせたもの)が興味の中心であり、この分野は量子力学やその他多くの学問の基盤となっている。自然の多くの現象は力学系によって記述され、カオス理論では、多くの系が、決定可能であるにもかかわらず予測不可能な現れ方をする、という事実を扱う。
計算機
人類がコンピュータを最初に思いついたとき(それは実際に作られるより遥かに前のことだが)、いくつかの重要な理論的概念は数学者によってかたち作られ、計算可能性理論、計算複雑性理論、情報理論、そしてアルゴリズム情報理論の分野に発展した。これらの問題の内の多くは理論計算機科学において研究されている。離散数学は計算機科学において有用な数学の分野の総称である。また最近では、計算機科学を駆使して自然科学上の問題を解決する計算科学が急速に発展している。
統計
応用数学において重要な分野に統計学が挙げられる。統計学はランダムな現象の記述や解析や予測を可能にし、すべての科学において利用されている。数値解析は、丸め誤差を考慮に入れて、幅広い数学の問題について効率的にコンピュータの上で数値解を求める方法を研究する。統計学は隣接する分野である確率論とは違って実際の統計データを扱う事もある事から、「確率論までは数学だが統計学は違う」という考えを持っている人もいる。

2009年01月13日

少年ビックリマンクラブ

『少年ビックリマンクラブ』(しょうねんビックリマンクラブ)はなかのともひこによる日本の漫画作品。「ビックリマン」を題材としている。

1980年代におけるビックリマンブームの時期に、『コロコロコミック』(小学館)にて1987年7月号より1988年9月号まで連載された。コミックス全3巻。

ビックリマンをこよなく愛する小学生・マン太をはじめとする4人の少年達が「ビックリマンクラブ」を結成し、学校の校庭に秘密基地を作ったり、ビックリマンシールを巡る騒動を通じて友情を深めていくなどの活動を行っていく。基本的には1話完結で、ギャグ要素が強いが、ビックリマンシールにかける彼らの情熱は本物であり、シール投げなどの必殺技を使用したりして窮地を脱したりする。物語の中には様々なビックリマン的要素が散りばめられており、例えば小学校の生徒や学校の先生がとあるキャラクターに似ていたり、ビックリマン世界における仕掛けなどを再現してマン太達に挑戦してくるなど多岐にわたる。

登場人物
登場人物は基本的に何らかのビックリマンシールのキャラクターがモデルとなっており、モデルとなったキャラクターにちなんだ技や仕掛けを繰り出してくる。(※はモデルとなったビックリマンキャラクター)

山田マン太(やまだマンた)※スーパーゼウス
リーダー。天聖小学校5年生。額に☆のマークをつけており、スーパーゼウスが持っている杖と似たような杖を所持している。熱血少年だが、スケベなところも。学校の成績は悪い。
若井(わかい)※若神子
クラブの頭脳。天聖小学校4年生。眼鏡をかけたおとなしめの少年。シール投げを得意とする。
七助(ななすけ)※七助(ななじょ)
クラブメンバー。天聖小学校(学年不明)。メンバー中一番背が低い。常に羽根のついた帽子を被っている。
具留目食べ作(ぐるめたべさく)※シャーマンカーン
クラブメンバー。天聖小学校5年生。大柄で太っていて、訛った言葉で喋る。シャーマンカーンの被っている兜と同じつくりの兜を被っている。非常に鼻がきき、匂いや味で袋に入ったビックリマンシールの種類を当てることができるという特技を持つ。
吉岡平助(よしおか へいすけ)
マン太の担任教師で、自称ビックリマンクラブ顧問。変態的な行動を取ったりとダメ人間だが、ビックリマンに関してはマン太達にも負けない愛情を持っている。お気に入りのキャラは「芸女」「アローエンジェル」など。

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